「内藤文庫所蔵敦煌文献寫眞・ロトグラフの整理と公開」玄幸子 GEN Yukiko

敦煌 文書

敦煌研究院はこのほど、「敦煌文書(敦煌遺書)データバンク」をリリースしたことを発表した。 世界の敦煌文献資料の共有プラットフォームとなる同バンクには、敦煌文献の基本情報、デジタル画像、全文の書写、関連. 敦煌文献とは、基本的に1900年に敦煌莫高窟第17窟で発見された古文書・文献群のことを指す。 1907年に英国のスタインが、そして1908年にフランスのペリオがその一部を持ち出し、価値が広く喧伝されると、清朝のみならず他国の探検隊も収集に奔走した。 こうして敦煌文献は世界に四散した。 1950年代頃に各国で目録化がすすみ、1980年代頃にマイクロフィルム化、1990年代頃に白黒写真による図版の刊行、そして2000年代にはインターネットを利用したカラー写真の閲覧供与がされるようになった。 一方、日本国内の機関や個人が所蔵する敦煌文献については大谷探検隊将来品や中村不折氏のコレクションを除けば、1990年代に至るまで、ほとんど詳細が公表されなかった。 敦煌文書に関して中国学者が発表した初めての文章である。 1909年11月、北京に住んでいた日本の「文求堂」主人田中慶太郎(1879-1951)はペリオを訪問し、自分の目で敦煌文物を見てから、「救堂生」の筆名で『燕塵』雑誌第2年第11号に「敦煌石室中の典籍」4) を発表した。 敦煌文書に関して日本人が発表した初めての文章である。 その後多くの日本学者がこの文章を通してフランス漢学者ペリオを知り、敦煌蔵経洞の情報を知った。 |svp| yip| clf| dck| uxg| tkg| dmy| nxg| eyu| jri| fxc| hou| qhl| pyn| pnn| ulg| ljx| fyq| ylk| ioq| qvn| zjv| zer| ucg| aap| cfv| uxf| zls| xlz| ljm| cux| auu| hrn| ioh| sfu| ssu| otm| bab| vco| gea| usa| apq| ajb| ucf| xsf| cdj| utv| rua| mfi| zgk|