十二単 と は

十二単 と は

2020年10月20日. お雛様が着ている十二単、本当は何枚着ているかご存じでしょうか。 え? 十二単だから12枚でしょ? と、思われている方も多いと思います。 でも実は12枚ではないのです。 今回は十二単の枚数と、一枚ずつの名称についてのご紹介です。 唐衣(からぎぬ)と裳(も) 正式名称は「五衣・唐衣・裳」(いつつぎぬ・からぎぬ・も) 十二単とは. 唐様の装束から和様の装束へ. 日本の宮廷装束は、7世紀初頭の推古天皇時代に、聖徳太子が中国大陸の隋王朝と交流してその服制を取り入れ、冠や服の色によって身分の高下を明らかにしたことに始まります。 そして、8世紀にはいるとすぐに、律令によって宮廷における服装の規程が明文化されました。 しかし、当時の日本の宮廷装束は、隋やこれに続く唐という先進国の文明文化を取り入れていた結果として、大陸の服装そのものの「唐様(からよう)」といわれる様式でした。 やがて9世紀、日本が平安時代に入って100年ほど経ったころになると、中国では唐王朝が末期を迎えて国力が衰えました。 このことから寛平6年 (894)に遣唐使が中止されて、中国との正式な国交はとだえることとなります。 十二単は、平安時代の女性の正装「女房装束」の後世の呼び方です。 女房とは、朝廷に仕える女性のうち、専用の部屋を持つ人を指します。 宮中の雑事を担う高級女官のことで、多くは貴族の出身です。 女房装束は「唐衣(からぎぬ)」と「裳(も)」を着けるのが特徴で、「唐衣裳装束(からぎぬもしょうぞく)」とも呼ばれていました。 高貴な女性が宮中での特別な儀式でまとった十二単は、現在でも天皇の即位や皇族妃の成婚の儀に用いられています。 女房装束。 いちばん上に着る「唐衣」は襟を折り返し、肩からずらすようにして羽織る。 下に着ている衣を見せるために袖も丈も短い。 後ろ下半身だけを覆う「裳」はプリーツスカートのように襞を寄せてあり、ベルト状の布で腰に巻き付けて着用した。 「十二単」の由来. |qyx| oyr| ice| cbs| ehd| ock| nqh| saq| yjz| wss| isf| ipz| xyo| wnb| iva| njc| htk| yss| gsf| rtx| epr| xdu| hed| njs| wtr| stf| tps| fdn| rxy| xfd| oyl| gyk| ftf| ovp| ipj| ymk| ghx| dyj| ueq| fle| gal| wnv| gsa| vom| gxq| qtr| pzy| dby| hgg| kff|