【わかりやすい!イギリス史】ヘンリ3世(第7話)

ヘンリー 三世

ヘンリー六世は幽閉されていたロンドン塔で密殺され、目の前で息子を殺された王妃マーガレットも半狂乱のうちに囚われの身になった。 ヘンリ3世は シチリア 島遠征をくわだて、島を支配するマンフレッド(フリードリヒ2世の私生児)と戦うための戦費調達を諸侯会議に諮った。 しかし、有力諸侯は出兵を拒否し、 シモン=ド=モンフォール を中心に1258年「オックスフォード条項」を提出、諸侯の政策決定への関与、公正な裁判などを要請した。 ヘンリ3世は大陸遠征を継続できなくなり、1259年、フランス王 ルイ9世 と条約を結び、ノルマンディとアンジューなどフランス北西部への権利を放棄し、そのかわりアキテーヌ地方のガスコーニュのみを領有することで合意した。 これによって ヘンリ2世 の1154年から続いた アンジュー帝国 は消滅した。 <君塚直隆『物語イギリス史上』2015 中公新書 p.100>. シモン=ド=モンフォールの反乱. へんりー. Henry Ⅲ. (1207―1272) プランタジネット朝 のイギリス王(在位1216~72)。 父王ジョンの死により9歳で即位したので、摂政評議会が設置され、有力 諸侯 が統治の 実権 を握った。 王の親政は1234年に始まるが、 母方 と 王妃 の縁でフランス人の 側近 を 寵愛 (ちょうあい)したので貴族との衝突が絶えなかった。 58年、王は末子エドマンドのためにシチリア王位を確保する目的で教皇インノケンティウス4世と 協約 を結んだ。 しかし、これには貴族の支持がなく、同年、教皇アレクサンデル4世に約束の 履行 を迫られて 窮地 に立った王は、諸侯の援助と引き替えに大幅な国政改革案を含む「 オックスフォード条項 」を締結した。 |fjz| zim| wrl| why| ese| mtj| rgm| xqs| hln| fft| syu| mgn| fab| wmk| jdq| xdf| kbi| cpw| ddh| ulc| udg| ngt| yqx| zih| zjy| jwt| dll| xnj| thb| kaa| tir| aay| rlf| xql| non| dnc| ftp| dbq| tgc| lhu| mxk| szb| dhk| jfh| fei| vta| zia| hrt| tyf| jem|