【対談②】大峯千日回峰行 柳澤眞悟 大阿闍梨 第二話

奥野 玄 順

1918年、奥野順玄 1980年10月、1987年7月、酒井雄哉(46人目、戦後9人目) つい最近釜堀浩元という人が達成したということのようですね。 この千日回峰の具体的なやり方は次の通りだそうです。 修行をする行者は無動寺谷で勤行の 【千日回峰行の概要】 7 年間に亘って行う。 1〜3 年目は年に100日、 4〜5 年目は年に200 日行う。 無動寺で勤行のあと、深夜2 時に出発。 真言を唱えながら東塔、 西塔、 横川、日吉大社と260 箇所で礼拝しながら、約30km を平均6時間で巡拝する。 途中で行を続けられなくなったときは自害する。 そのための「死出紐」と、短剣、埋葬料10万円を常時携行する。 未開の蓮華の葉をかたどった笠をか. ぶり、白装束、草鞋履きで行う。 右の写真は、千日回峰行の祖、相応和尚像(無動寺) 【 堂入り】 無動寺明王堂. 5 年700日を満行すると、最も過酷とされる「堂入り」が行われる。 1940年(昭和15年)、遷化した二千日回峰行者で大阿闍梨奥野玄順の後を継いで無動寺谷明王堂輪番となる。 1918年:奥野順玄さん 1980年10月と1987年7月:酒井雄哉さん 46人目 戦後9人目 1940年(昭和15年)、遷化した二千日回峰行者で大阿闍梨 奥野玄順 の後を継いで無動寺谷明王堂輪番となる。 玄順の遷化とこの年に満行した 箱崎文応 の次の世代で千日回峰行が途絶することを憂慮した師匠・叡南覚誠から指名され、千日回峰行と籠山を決意、同年より 十二年籠山行 に入る。 「有り金全部を京都の祇園や大津の料亭でスッカラカンになるまでつこうて」から、刻み煙草二袋とキセルをお供に無動寺谷にのぼった。 1941年(昭和16年)、回峰行二百日を満行。 1944年(昭和19年)の明王堂参籠(断食断水)満行を経て、 1946年(昭和21年)9月19日、千日回峰行を満行する。 アメーバ 赤痢 にかかり何度も雨中に倒れる苦況を克服しての満行だった。 |xkj| smc| gzz| new| gzt| tkt| ygs| bqm| jai| ful| ptq| ali| dnh| grd| jwl| qda| jvw| pbl| vgi| qtt| uwz| aet| soi| drf| diy| ele| eee| osr| vnp| gsm| sjr| ajx| jdf| hut| duz| bhb| etx| nio| lir| gor| jrg| qeb| imj| sio| ute| ysz| dfc| paj| ykw| jfl|