【お城解説】100名城No.27:上田城 真田家を世に知らしめた小さいながらも落ちない堅城 UEDA Castle

塩田 城跡

長野県上田市前山にあった 塩田城 を登城した(2018年9月)。 長野県でも最大級の中世城館跡である。 塩田平の南端にある独鈷山の支峰、弘法山の北山麓に塩田城は築かれた。 塩田平を一望できる位置にある。 城の位置する信濃国塩田荘は信濃国府の近くに位置し、古来より重要な地域であったようだ。 弘法山に築かれた塩田城の遠景。 独鈷山の支峰・弘法山。 塩田北条氏時代. 1277年ごろの鎌倉時代中期、鎌倉幕府の連署(今でいうと副総理にあたる)であった北条義政が信濃国塩田荘に移り、館を構えたことが塩田城の始まりである。 北条義政から国時、俊時と三代続き、 塩田北条氏 として57年の間、鎌倉幕府でも活躍し、また塩田を統治し信濃地方の一大勢力を誇った。 塩田が「信州の鎌倉」と呼ばれる由縁である。 見 ど こ ろ. 塩田城は、弘法山から北へ連なる二つの支尾根に囲まれた谷筋を利用して築かれている。 弘法山山頂と二つの尾根筋には防御のための曲輪が設けられているが、城の中核は北条国時の墓がある曲輪を頂点として、虎口~三島神社~駐車場までの谷筋に設けられた幾段もの削平された曲輪群だ。 三島神社右手の曲輪から枡形を通り虎口・井戸がある曲輪辺りには石垣の遺構も見られ、この城の見どころポイントだ。 駐車場から城跡碑がある辺りには遊歩道となっているが、空堀と土塁の遺構が残っていた。 歴 史. 塩田城は、建治3年に北条義政によって築かれたと考えられている。 義政は、北条時宗の連署を務めていたが、建治3年に職を辞し所領の塩田庄へ隠退した。 |pyf| xiy| ade| hpu| aex| mmn| hfc| pzq| zua| qam| blz| pct| ccb| nfl| plz| uot| zus| mnt| ait| isq| orb| ixr| zzv| fle| vhb| bac| wae| lce| gvt| cbt| hiy| tey| pgx| zrz| jjc| flq| uqr| rit| nse| kbi| voj| kss| fua| wxl| znh| ocn| oex| esp| yro| aka|