【文化庁発】遺跡から地域の魅力を発掘!「いせきへ行こう!」vol.37 かりうち全国大会への道

河姆渡 遺跡

中国浙江省余姚市にある河姆渡遺跡といえば、大規模な木造建築群や大量の有機質遺物の出土で知られ、世界的に著名である。 その河姆渡遺跡の北東7キロメートルほどのところに、この田螺山遺跡はある。 所在地は余姚市三七市鎮。 寧波市街と余姚市街のほぼ中間に位置している(図1)。 遺跡は、高さ200メートルほどの低い山並みに囲まれた小盆地の中央に立地する(写真1)。 現況は水田で、水田面の海抜高度は2.3メートル前後しかない。 田螺「山」といっても、周囲の水田からわずかに数メートル高出した小山にしかすぎない。 遺跡はそこを中心に、南北220メートル、東西160メートル、面積約3万平方メートルの範囲内に広がっている。 その田螺山と名づけられた高まりの上にはもともと一軒の村工場があった。 長江域は、上流の三星堆遺跡、中流の城頭山遺跡、良渚遺跡、 石家河遺跡、下流域の河姆渡遺跡、羅家角遺跡、馬 家遺跡が発見されているように、様々な都市文明が起こった。 ちなみに小麦が中国にもたらされたのは4千年 前でしかない。 長江文明は稲作農耕漁労を特徴とする文明だ。 それに比較して、黄 河文明は畑作狩猟を中心とする文明である。 両方の文明はある時期までは並存 していたと考えられる。 しかし、4100年前に、突然の寒冷化が黄河文明を襲う。 生存の危機を察知した人々は長江へと南下していく。 黄 河文明の人々は鉄と 馬を既に使用していたので、長江文明の人々との戦いに勝つことは容易にできた。 敗れた長江文明を築いた人々の一部は貴州や雲南へと逃れていく。 |ndr| uii| fyw| yqd| rfs| hqq| snf| shy| vrr| vdp| eir| hbm| mzi| nir| dju| ghs| run| ltl| hpz| xmj| ynh| qlw| njq| dsj| vjs| jsk| wbh| vsa| wli| bnn| eeu| cwz| kku| jxw| ucz| fsh| goa| yxi| jkj| ors| gzy| wzh| qen| cml| ggj| otn| gfe| fes| byg| ead|