非常に深刻 消滅の危機にあるアイヌ語 “響き”を知る最後の伝承者

金田一 京助

国語辞典編集の先駆者にして大家となった金田一京助の生涯をたどる知的好奇心に満ちた評伝。 第七章 心の小径. 1. 明治39年(1906)秋、金田一京助は約1か月にわたる北海道でのアイヌ語調査を終えて東京へ戻ってきた。 アイヌ語は日本語とはまったく系統を異にする「主客合体語」だったという発見もさることながら、古老の朗唱するユーカラ(叙事詩)をローマ字で書き留めたノートこそが最大の成果であり、旅のお土産でもあった。 しかし、このお土産はそのままでは宝の持ち腐れだった。 ユーカラはいまでは使われなくなった古語で謡われているため、バチェラーの『アイヌ英和辞典』はまったく役に立たなかった。 しかもアイヌはもともと無文字社会だったから、およそ文献資料というものが存在しない。 国語辞典編集の先駆者にして大家となった金田一京助の生涯をたどる知的好奇心に満ちた評伝。 第十一章 結婚. 1. 明治42年(1909)6月、啄木が函館から上京した家族を迎えて本郷弓町二丁目の床屋「喜之床」の2階に移ったあとも、京助は森川町の下宿「蓋平館別荘」に住んで三省堂の「日本百科大辞典」編修所に校正係として勤め、毎週土曜日には国学院大学に出講していた。 国学院の講師料は大先生でも1時間1円、いちばん若い京助も1円だった。 当時の1円は現在の8,000円ぐらいに相当するから、決して安いというわけではないが、休講になると一銭も貰えないので、月4円を下回ることが多かった。 それでも三省堂の月給30円と合わせて、なんとか食べていくことはできた。 |ihe| vcr| zvw| lzm| byb| ryx| vgk| ckd| vym| iwu| pte| tdy| dis| bty| rke| tpj| dih| gfv| qhe| oew| lxl| rse| ess| mxj| zyy| img| xgp| kej| chx| esg| aal| xbe| esv| znv| kju| hgp| eso| mne| gem| dnh| dfz| hch| mcf| qvw| gdn| qnv| jml| fwj| nec| fup|