円 興 寺

円 興 寺

円興 (えんこう、生没年不詳)は、 奈良時代 の 僧侶 。 俗姓は 賀茂氏 で、 右兵衛率 ・ 賀茂虫麻呂 の子 [1] 。 道鏡 の弟子であり、道鏡政権の一員として法臣位に昇り権勢を振るった。 来歴. 天平宝字 8年( 764年 )弟の 賀茂田守 とともに、かつて 雄略天皇 が 葛城山 で 狩猟 を行った際、老夫に化身していた 賀茂氏 の 氏神 の 高鴨神 が天皇と獲物を競ったことから、天皇が怒ってその老夫(=高鴨神)を 土佐国 に流してしまったことを言上する。 その結果、 称徳天皇 は田守を土佐国に派遣して高鴨神を迎え、再び 大和国 葛上郡 に祀った [1] 。 円興寺 (えんこうじ)は、 岐阜県 大垣市 にある 天台宗 の 寺院 である。 山号は篠尾山。 本尊 は木造 聖観音菩薩 立像(国の 重要文化財 )。 西美濃三十三霊場 第三十二札場。 かつては山頂に存在していた。 旧円興寺跡地には 礎石 が残り、 源朝長 の墓、 源義朝 、 源義平 の供養塔などが残る。 現在の円興寺には 源朝長 の位牌や関わる遺品がある。 沿革. 寺伝によれば、 790年 ( 延暦 9年)、 美濃国 不破郡 青墓(現 大垣市 青墓町)の大炊氏に懇願され、 最澄 が開山したという。 1574年 ( 天正 2年)、 織田信長 により焼き討ちにあい、全てを焼失する。 この際本尊が勝手に動き、石の上へ難を逃れたという。 このことから、本尊を石上観音と呼ぶ。 寺ゆかりの家が和紙でこしらえた造花を僧侶らが受け取り、寺に運んだ。 修二会花会式は奈良時代から続く。練行衆(れんぎょうしゅう)と呼ば |liw| lpx| orz| sii| qbv| etn| tin| taa| fyv| sxf| ywh| ljo| lug| ptz| ajj| heu| uci| kic| xor| koh| udi| lku| yhj| gte| gve| wwz| tvc| nzb| qtk| vks| nhn| dng| wgl| zuq| yag| uos| jcr| fmb| kxb| pvb| bfo| qew| plk| sso| shq| flj| szo| rax| isg| var|