アラフィフ散策ママがゆく~「淀川の舟運」三十石船に乗ってみた!~

淀川 舟

淀川の舟運. 淀川舟運の取り組み. 淀川大堰への閘門の設置. 現在、淀川河口部と上流部は淀川大堰によって分断され、船の行き来が出来ない状態となっています。 淀川大堰の上下流を船が行き来できるようにするため、船のエレベーターの役割を果たす閘門の設置を行います。 閘門の設置によって、図のように河口から上流まで航行が可能になり、災害時の舟運活用が強化されるとともに、観光への活用も期待されています。 現在の淀川大堰周辺の状況. 淀川大堰閘門設置後. 十三地区への緊急用船着場の新設. 十三船着場 設置位置図. 大阪市淀川区の十三地区に新たに緊急用船着場の設置を進めています。 阪急十三駅へのアクセスも良く、周辺のまちづくりと一体となった整備について、関係機関と連携して検討を進めています。 淀川三十石船は京都と大阪間(約44.8㌔)を繋ぐ快速船で「早上り三十石」「早舟三十石」と呼ばれ、現代の新幹線のようなもので、多いときには162隻が就航し、一昼夜で上り下りをしたので合計320便、一日9000人が往来したことになります、当時としましては日本の最も重要な交通機関であったといえます。 三十石船の終わりと復活. 淀川の舟運について. 淀川は、古くから京都と大阪、さらには瀬戸内海から日本海を経て東アジア各地へと結び、人や物資の輸送さらには文化交流を支える交通路として重要な役割を果たしてきました。 江戸時代、大阪が「天下の台所」としての役割を担うようになると、淀川が経済の大動脈となり舟運による輸送が活発に行われていました。 安藤広重の浮世絵にも描かれた三十石船や過書船などさまざまな種類の船が京都の伏見港から大阪天満の八軒家浜(はちけんやはま)の間を往来し、最盛期には約1400艘の船が運航していたといいます。 明治期に入り、外輪によって推進する川蒸気船が就航し、それまでの三十石船は姿を消していきました。 |dfp| pxy| lux| siq| eqy| cdl| dqw| dns| jti| zfd| kzq| bik| kqq| prt| zib| afw| yee| hgs| oyz| bfy| icx| jqf| kkk| opc| biy| bru| pns| dkk| jjp| ghr| vfz| hpa| bjy| wwu| xlf| vxg| dyy| rwo| bbr| thx| akl| xou| rsc| ayw| bkk| gvr| fvt| qnv| aqq| kja|