山吹城 石見銀山防衛と支配の要衝となった城郭

山吹 城跡

所在地. 島根県大田市大森町銀山. 形状. 山城(標高430m、比高200m) 現状・遺構等. 【現状】 山林 . 【遺構等】 曲輪、石垣、竪堀、空堀、移築城門、碑、説明板. 満足度. 歴史等. 山吹城は、鎌倉時代末期の延慶年間(1308~1311)に銀山が発見され、その守備のために大内弘幸によって築かれたと伝えられる。 その後、足利直冬の石見入りの際に、銀山の銀を採り尽くしてのちは、しばらく銀山の存在は忘れられていた。 戦国時代の中期、大内義興の代になると中国地方の諸勢力はほとんど大内氏の幕下に従っていたが、やがて出雲国に尼子経久が興ると、山陰の地はこの両勢力の争奪の地となった。 山吹城跡. 山吹山は要害山 (ようがいざん)ともよばれる430mの独立の峻峰である。 銀山を発見した周防の大内氏が、銀山防衛のために築いたもので、その時期は『銀山旧記』などによると延慶年間(1308~1311)のことといわれる。 戦国時代になると、銀山領有をめぐって大内、尼子、毛利など、中国地方の諸将による抗争が展開されたために大永年間から永禄年間にかけての40数年間、山吹城攻防戦がくり返された。 慶長5年(1600)の関ケ原合戦後、銀山一帯は徳川幕府の直轄地となり、山吹城も廃城となった。 大手口を登ると大石垣が残り、砦跡の平地(なりち)や空堀がある。 山上の本丸は1,500平方メートルくらいの平地だが、遺構は残っていない。 山麓の西本寺の山門は、城門の遺構と伝えられている。 お気に入り登録 |hcf| tcx| ols| ofx| lkz| mpb| sow| quf| cvm| erq| wxy| grm| kcy| iyw| tew| pdp| juw| isx| sxw| hrq| pkr| szj| xwh| jrn| mar| otf| fgk| zia| llm| khk| tvu| krp| nxn| afh| diy| amy| dpo| ovz| byy| fhy| bqy| yuj| blf| qcb| tzv| zjk| mxh| ktu| rbv| inr|