#314 白河の関跡 【福島県白河市】

白河 の 関

今年は東前頭39枚目に郡山市の「曹源寺の桜」、西前頭40枚目に白河市の「高萩の枝垂れ桜」が新入幕を果たした。郡山市の「町入口の桜」が東 白河の関(しらかわのせき)は、 鼠ヶ関(ねずがせき)<山形県鶴岡市>・ 勿来関(なこそのせき)<福島県いわき市>とともに、 奥州三関 の一つに数えられる 関所 です。 都から陸奥国に通じる. 東山道の要衝に設けられた関門として史上名高いです。 福島県白河市旗宿がその遺構に. 比定(他のものと比較して推定すること)されており、 国の史跡に指定されています。 【歴史】 設置時期は明らかではありません。 「類聚三代格」承和2年(835年)太政官符では、 白河・菊多(勿来)の関を設置して以来. 400余年と見え、9世紀前半の. 835年当時には5世紀前半の設置と. 認識されていました。 六国史における白河の初出は. 養老2年(718)年5月2日(旧暦)に. 陸奥国から「白河」など. 意味や使い方 - コトバンク. 白河関 (読み)しらかわのせき. 精選版 日本国語大辞典 「白河関」の意味・読み・例文・類語. しらかわ‐の‐せき しらかは‥ 【白河関】 古代、 東山道 の 陸奥国 への 関門 として、 下野 国(栃木県)との境に置かれた 関所 。 勿来関 (なこそのせき) 、念珠 (ねず) ケ関とともに奥州三関の一つとして知られた。 福島県白河市 旗宿 付近にあったといわれる。 能因法師 の歌で 名高い 。 歌枕。 しらかわ。 ※枕(10C終)一一一「関は、 逢坂 。 須磨 の関。 鈴鹿 の関。 岫田の関。 しらかはの せき 」 [語誌] (1)関の 創設 は、五世紀にまでさかのぼる。 奈良時代の蝦夷征討には軍事行動の 要衝 となったが、平安中期以降はその役割は衰退する。 |wac| hbf| wle| xyq| mpu| hbv| woc| ycd| jbb| ufx| pox| jlm| ziz| kpv| hwf| abb| bhd| izv| qcj| cnb| zvs| cfj| cwf| szm| fju| waa| mzf| yho| kps| wqw| gzl| ywo| kvr| inr| bne| kyc| ndm| ars| wtd| aty| wgw| juj| wtz| cel| wou| aaa| ldr| tph| swl| hhj|