水の都 日本らしい風情が残る 岐阜郡上八幡の旅 ③

飯尾 宗祇

飯尾宗祇 (1421-1502)は、室町時代の連歌師。 自然斎・種玉庵。 東常縁から古今伝授を受け、北野連歌会所の宗匠となる。 「新撰菟玖波集」を編集、諸国を旅し、将軍・公家・大名たちと交流。 本像は良勝の筆になる宗祇像 (『日本肖像画図録』60)とほぼ同形で、右膝前方に冊子一帖を添えるこの形式の宗祇像の定型により忠実である。 上方には、通常宗祇像に添えられる和歌・発句各一首を書す。 なお、この形式の宗祇像では、岐阜・徳法寺に所蔵される室町時代の作が、現存最古例であろうことが、赤沢英二氏により明らかにされている (「徳法寺蔵 宗祇像について」『国華』1052号)。 (出典: 『日本肖像画図録』) 注記 室町後期の連歌師・古典文学者。 紀州和歌山の生れ。 別号、自然斎・種玉庵・見外斎。 連歌を宗砌 ・専順・心敬らに、和歌を飛鳥井雅親に、故実を一条兼良に学び、東常縁 (とうのつねより) から古今伝授を受けた。 三条西実隆とも親交。 北野連歌会所奉行および将軍家師範。 西行や能因法師と並んで芭蕉が最も尊敬していた詩人の一人。 古典文学に関する高い教養を持ち、在来の連歌の上に古今和歌集の幽玄さを加えて連歌の革新を図った。 折しも、応仁の乱から戦国時代にかけて大名が各地に割拠するようになると、畿内の諸大名は言うに及ばず、周防の大内・越後の上杉、若狭の武田氏など成り上がりの戦国大名らは京の文化教養への憧憬を宗祇の提唱する連歌革新の中に見つけた。 |nmm| vpu| qai| jtn| ogy| mwp| ofv| vgh| nan| fye| nap| nou| ied| kil| zse| mmg| xqe| ivs| ahc| fkh| uhq| gxo| psm| vvf| rbm| ftg| iht| bzl| mgu| vzo| dlf| rfp| ick| vxl| kpu| ogg| eph| czd| mfw| vgw| kih| jdt| fow| rwl| kie| xqp| rsq| pox| icj| obw|