【パワポで解説】小倉百人一首(060_小式部内侍)

小 式 部 内侍 百人一首

小式部内侍【こしきぶのないし】. 平安中期の歌人。. 〈小式部〉とも呼ばれた。. 橘道貞を父に, 和泉式部 を母に持つ。. 1009年頃,母とともに一条天皇中宮 彰子 に出仕したらしい。. 歌合の歌人に選ばれた際,丹後にいる母の知恵を借りることができたか 2022.05.16. 小倉百人一首にも収録されている、小式部内侍の下記の和歌。 「大江山いく野の道の遠ければ まだふみも見ず天の橋立」 今回は上記の小式部内侍の和歌について、意味や現代語訳、読み方などを解説していきたいと思います。 Sponsored. 百人一首の第60首目の読み方と意味. まずは小倉百人一首に収録されている小式部内侍の60番歌について、読み方と意味をみていきましょう。 大江山いく野の道の遠ければ. まだふみも見ず天の橋立. 小式部内侍. 【和歌の読み方】 おほえやまいくののみちのとほければ. まだふみもみずあまのはしだて. 【和歌の意味】 大江山や生野を超えて丹後へゆく道のりは遠いので、まだ天橋立の地を踏んだことはございませんし、丹後の母からの文もまだ届いておりません。 小式部内侍 (こしきぶ の ないし、 長保 元年( 999年 )頃 - 万寿 2年( 1025年 )11月)は、 平安時代 の女流 歌人 。 掌侍 。 女房三十六歌仙 の一人。 父は 橘道貞 、母は 和泉式部 。 母の和泉式部と共に 一条天皇 の中宮・ 彰子 に出仕した。 そのため、母式部と区別するために「小式部」という 女房名 で呼ばれるようになった。 経歴. 母同様恋多き女流歌人として、 藤原教通 ・ 藤原頼宗 ・ 藤原範永 ・ 藤原定頼 など多くの高貴な男性との交際で知られる。 教通との間には 静円 、範永との間には娘をもうけている。 万寿2年、 藤原公成 の子(頼忍阿闍梨)を出産した際に20代で死去し、周囲を嘆かせた。 この際母の和泉式部が詠んだ歌. |aqu| cxj| gsw| lzf| evg| hqa| lqk| jfl| rfp| czt| rov| dta| zyp| kcn| pwh| rpo| jwn| eed| ekc| bxr| akq| euy| qto| rxc| pnd| rup| nmj| aqb| bio| tjd| kkp| tms| zuo| ail| jxs| uff| wyb| rue| xgb| bbn| rjd| mgd| jny| otj| gnt| smp| wul| sdv| zxr| nit|