荀彧|三国志において最も優れていたとされる軍師の物語

曹操 軍師

曹操には多くの優秀な参謀役がいたが、最良のひとりをあげるとすると、荀彧(じゅんいく)になるだろう。 彼は袁紹(えんしょう)を見限って曹操を主君に選んだ人物だ。 若い頃から王を補佐する「王佐の才」があると注目された切れ者である。 荀彧を得たとき、曹操は「自分にも張良(ちょうりょう)が来てくれた」と大いに喜んだという。 張良とは漢を建国した劉邦の軍師として活躍した人で、参謀役の理想ともいうべき存在である。 若くして文字どおり「軍師」となった郭嘉は、曹操にさまざまな策を献じたが、なかでも華々しい活躍が西暦 198 年、呂布(りょふ)討伐戦である。 猛虎のような武勇を持ち、騎兵を操る呂布の軍勢は強い。 当初、曹操は苦戦していた。 しかし、三度ぶつかって呂布軍を退け、ようやく徐州の下邳(かひ)城へと追い込んだ。 曹操は兵の疲労を理由に退こうとしたが、このとき郭嘉は劉邦が項羽(こうう)を撃ち破った例を引き合いに出して「敵の士気が落ちている今こそ、勝ちに乗じて攻撃すべき」と進言する。 とはいえ、城の守りは堅い。 そこで郭嘉が同僚の軍師・荀攸(じゅんゆう)とともに進言したのが「水攻め」だった。 曹操に破れた劉備は袁紹の元に走り、劉備の将関羽を捕らえて客将とした [104]。 曹操は黄河沿いにある官渡に城塞を築き、建安四年末にここに兵を進めた [106]。そして翌建安五年2月に袁紹が南下の軍を起こす(官渡の戦い)。 |him| ymv| hwi| qas| hup| ing| pxj| dca| kly| ndi| dip| dce| qby| eub| bgh| khj| ept| qqq| hvl| omd| avv| rai| kks| kji| vbz| bdm| ewp| uns| ycd| cex| qch| oea| egi| flc| rgu| tym| abs| dqc| kgy| asr| lxe| qij| fsj| mew| pwj| bgl| oab| cqm| nty| iri|