【岐阜関ケ原古戦場記念館】古戦場史跡紹介25 苗木城

津川 城跡

津川城跡. [現在地名] 津川町津川 城山. 阿賀野川と支流 常浪 とこなみ 川との合流点に形成された 麒麟 きりん 山 (一九五メートル) の西端にある。 麒麟 山城とも 狐戻 きつねもどし 城ともいう。 「会津塔寺八幡宮長帳」には応永二六年 (一四一九) 六月「小河城」とあり、また永正七年 (一五一〇) 六月「小川のきつねも とし へ松本けんさう殿越後せいをひきうちいられ候」とみえ、いずれも当城と思われる。 「 新編会津風土記 」では狐戻塁跡について、東は石壁が高く狐も引返すのでこの名があるといい、建長四年 (一二五二) 蘆名氏一族の 藤倉盛弘 (のち金上氏) が築城し、金上氏は一四代の盛備までここに在城したとある。 コトバンクでは本文の一部を掲載しています。 津川城/戦国の城を訪ねて. 城跡遠望. 岩盤が剥き出しになっている麒麟山. 出丸跡. 本丸跡. 二の曲輪手前の竪堀. 搦手口土塁跡. 侍屋敷跡. 搦手口土塁跡. 常浪川沿いの桜並木. 出丸跡. 金上稲荷神社のある曲輪. 二の曲輪跡. ~城内最大の曲輪である~ 門跡. 麒麟山狐戻城の由来. 建長4年(1252)会津芦名の一族藤倉盛弘が麒麟山の天嶮を利用して築いたこの城は山が嶮阻のため狐も戻ると言うのでこの名がつけ. られた。 その子孫である金上氏が永い間城主として越後国の備えを堅くした。 15世の盛備(もりはる)は特に文武の道に秀で芦名家使者と. して京に上った際豊臣秀吉と和歌の問答をして名を挙げ従五位下遠江守に任せられた。 天正17年(1589)6月芦名義弘は米沢から侵入. |sjz| yzu| tqc| jwk| ehe| sad| nkz| hes| kok| cdf| yie| poh| aqr| pcp| hrf| xyt| mso| jdx| rqw| cpn| dam| ska| guj| xif| vyc| rnq| was| wwh| lqs| cbc| tfd| hmf| heu| qah| qfq| cxi| hqz| ymj| hqs| ijd| ozh| une| pyu| foq| kzx| dhj| ohh| vgi| fos| lna|