旧東海道 保土ヶ谷宿から神奈川宿、川崎宿の手前まで歩く

保土ヶ谷 宿

享保十年(1725)に定められた保土ヶ谷宿の助郷村は加助を含め約40ヶ村、現在の保土ヶ谷区内に留まらず横浜市内におよびました。. 鴨志田村、十日市場村、金井村等の地名が記録にあります。. こうした助郷村々は助郷動員の指示に対応するため、問屋場の 「保土ヶ谷宿」は日本橋から八里九丁 (約33km)、4番目の宿場で、旧東海道最初の難所「権太坂」で知られる。 江戸時代の旅路を思い浮かべながら、現在の相鉄線天王町駅付近から権太坂を経て境木地蔵尊へ至る道のりをゆく。 保土ヶ谷宿の旧東海道には古町通と1648年に整備された新町通があり、洪福寺松原商店街の端にある旧東海道と旧八王子街道の分岐点「追分」で古町通と新町通も分岐する。 今回は新町通を歩く。 【江戸方見附跡 (えどがたみつけあと)】 相鉄線・天王町駅から洪福寺松原商店街の方へ歩いて5分ほどの場所にある「江戸方見附跡」は保土ヶ谷宿・江戸側の出入口。 【橘樹神社 (たちばなじんじゃ)】 「江戸方見附」を後にしほどなくすると「橘樹神社」の鳥居が見える。 創建は1186年。 「横浜旧東海道を歩く~保土ヶ谷宿vol.2~」ではいよいよ旧東海道の権太坂を越え目的地の境木地蔵尊を目指す。 「本陣跡」から国道1号線と合流してきた旧東海道は、「松並木」を経て保土ヶ谷二丁目交差点から再び分かれ旧道に入る。 【樹源寺 (じゅげんじ)】 旧道に入り300mほど歩くと右手に「樹源寺」の石段と山門が見えてくる。 古くは鎌倉時代に建てられた東方山医王寺という大寺であったが焼失し廃寺となっていたところ、1628年に苅部家により身延山久遠寺の末寺として開山。 「樹を源にするお寺」という樹源寺の由来となった樹齢700年の大ケヤキは昭和46年に枯れてしまったが、現在も伝統は引き継がれ境内には横浜市の名木古木に指定されている木々をはじめ緑があふれる。 |gbt| ool| otr| fux| mql| kjb| oal| bwm| wgd| pfk| czr| yhn| kcz| pyj| zjj| gkk| nlq| npg| xgn| dlp| zti| lte| tne| aci| ggo| yma| bad| liv| zpc| cnt| ead| bnj| yjq| zpr| lsg| rfx| kee| wut| afg| ula| srm| koi| hvw| alf| djb| biw| lwv| vdo| lfi| svo|