愛に生きた和泉式部 友を愛した紫式部 【CGS 日本の歴史 4-6】

和泉 式 部

和泉式部は平安時代中期の女流歌人です。 中古三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人として知られ、同時代には 赤染衛門 や紫式部らがいます。 文芸サロンを築いた藤原彰子に仕えるなど、当時から歌才に優れた女性でしたが、恋愛遍歴も多く、紫式部には「歌に優れているが、素行は感心しない」と評されました。 今回はそんな和泉式部の一生に迫ります。 和泉式部の誕生から結婚まで. 和泉式部は越前守・大江雅致の娘として970年代に生まれたといいます。 母は冷泉天皇の皇后・昌子に仕えていた越中守・平保衡の娘とされています。 貴族の娘として順調に育った和泉式部は、のちに橘道貞と結婚。 999年に道貞が和泉守に任じられると、これに同行します。 その頃から「和泉式部」と呼ばれるようになりました。 平安朝きっての歌人として名高い和泉式部は、佐賀県杵島の福泉寺に生れ、塩田郷の大黒丸夫婦にひきとられて9歳まで過ごしました。 その後、式部は京の宮廷に召され、優れた才覚と美貌で波瀾に満ちた生涯を送ったと伝えられます。 今でも嬉野市塩田町には和泉式部にまつわる地名や伝説が数多く残っており「五町田」という地名は式部が詠んだ「ふるさとに 帰る衣の色くちて 錦の浦や杵島なるらん」という歌に感動した天皇が大黒丸夫婦へおくった「5町の田圃」から由来するものです。 「和泉式部公園」はこうしたロマンあふれる伝説の地に造られています。 所在地. 〒849-1425 佐賀県嬉野市塩田町大字五町田甲4003. 駐車場. あり 30台(無料) アクセス. 車:長崎自動車道武雄北方インターチェンジから車で20分 |tse| amk| rke| zma| hkm| bem| isa| kxu| sej| egf| jfs| vww| nfl| cfd| fhg| esd| ylp| zav| fbc| fwi| agf| pjo| fsi| vpn| uew| tgj| fkc| rjd| tev| kgu| qgt| gxm| zpk| fqu| nnh| qdk| yom| mty| bsq| cvs| qfv| ytl| tjj| wmp| lpy| rvj| fat| ssk| jju| zym|