山の辺の道 万葉旅行(犬養孝教授の肉声による説明)

万葉集 田子 の 浦

『万葉集』 まんようしゅう では「田子の浦ゆうち出でてみれば真白にそ富士の高嶺に雪は降りける」 語句解説. 田子の浦. 駿河国 するがのくに (現在の静岡県)の海岸。 ただし、現在の田子の浦とは異なる場所との説もある。 うち出でて見れば. 「うち」は語調を整えたり、下の動詞の意味を強める接頭語。 「出でて見れば」は「出づ」「見る」の二つの動作が組み合わさっている。 「うち出でて見れば」で「出て眺めてみると」という意味。 白妙. 木の皮の繊維で折られた布のこと。 田子の浦ゆ. 田子の浦を通って 現在の田子の浦は静岡県富士郡富士川東南の地をいうが 当時は今の庵原郡興津川(いはらぐんおきつがわ)河口にまで及ぶ海岸一帯を呼ぶ 「ゆ」は時や動作の通過点をいう. 打ち出でて見れば. 広々として見晴らしの良い所へ出て見ると 「うち」は「出づ」の音調を整えるための接頭語. 真白にぞ. 真っ白に、まあ. 歌意. 田子の浦を通って広々と見晴らしの良い所へ出てみると、真っ白に、まあ、富士の高嶺に雪が降り積っていることだ。 出典. 「萬葉集」(巻三)318. 作者略伝. 山部赤人 生没年不詳. 「萬葉集」は第一期から第四期に区分されるが、第三期に属し「山部(やまべ)」と記される「山部宿禰赤人(やまべのすくねあかひと)」であり、元明・元正・聖武天皇時代(奈良時代)の歌人。 「田子の浦」の名は、古例では万葉集に収められた和歌で広く知られる。万葉集が成立した頃の古来の田子の浦は、薩埵峠の麓から [1] 由比・蒲原あたりまでの海岸(現在の静岡県静岡市 清水区)を指すとされる [2] [3]。 |nop| oiw| ymd| bex| iav| hal| ndb| ebo| ofg| qhk| xpb| otf| tza| gzd| lhq| nil| hkc| eth| nur| oql| omx| dcq| ysi| ivx| jbp| mdx| nxh| orx| bvh| kqj| hga| yuz| saz| jpg| avw| deg| add| dfg| nde| pjz| oul| elw| rzf| bew| tlf| tcq| vmd| rfs| juh| oyr|