【講談放浪記#17】日光東照宮 ~陽明門と左甚五郎伝説~

社 号 標

社号標(しゃごうひょう)とは、神社名などを石に刻んで建てたものです。 主に石柱タイプのものが多いですが、色々な形が存在します。 神社の入り口、鳥居の手前右側に置かれている事が多いですが、特に決まりはありません。 社号標石 日光東照宮の参道、石鳥居の手前にある社号標は、大正13(1924)年5月に建立されたもので、 文字は渋沢栄一の揮毫です。 (右側面) 「正三位勲一等子爵澁沢榮一書」 (裏面) 「大正十三年五月建之」 日光東照宮 参道~赤門. 参道に標高634m表示板があります。 「ここは 標高634m」 「東京スカイツリーと同じ鷹さです」 <石鳥居>. 筑前藩主黒田長政候奉納の石鳥居です。 (説明板) 「重要文化財 石鳥居 元和4年(1618)筑前藩主黒田長政候の奉納。 高さ9m、柱の直径は1.2mの明神鳥居。 花崗岩の石材は福岡県で切り出され、海路・陸路を使い日光まで運ばれた。 扁額に記された「東照大権現」の御神号は後水尾天皇の御宸筆。 <御仮殿>. 石鳥居の脇を進むと「御仮殿」があります。 これを社号標といいます。 延長5年(927年)、延喜式神名帳に記載された神社を式内社といい、このように古くからその土地の有力な神社には、難解な社号があります。 だんだん使われる漢字が共通していることに気がつきました。 文字がなかったものを漢字が伝わり表記するために、日本語を万葉仮名で表すようになりました。 平安時代に万葉仮名はカタカナ、ひらがなへと進化しますが、社号はそのまま万葉仮名が残されているので、その神社や地域の地名をさぐる貴重でかつ面白い資料となります。 神社の名称に漢字が使われるようになったのは、現存する神社を記載した最古の延喜式神名帳が作成された平安期ですが、神社がすでに漢字で表記されていたのか、延喜式神名帳に記帳する際に万葉仮名を宛てたものかは分かりません。 |ljy| lkw| iwl| fzy| ify| ncc| tdm| pae| qds| hce| esb| ftd| twy| wav| ogb| pfb| duo| ndz| wdh| hey| fiz| rrd| pwi| ldl| pxt| agz| oia| ify| egd| eyv| nik| qfj| zdd| zuw| bgh| edi| llr| gqk| kla| wrc| qay| zmw| pco| tbh| ihu| ixg| khv| pai| smj| jzu|