大阪府北部の暴力団事務所13

共 政 会 系 美能 組 本部

昭和46年(1971年)1月、美能組は二代目組長薮内威佐夫に引き継がれた(共政会入り)。美能は実業家に転身し、冠婚葬祭業で成功。晩年は呉の高級観光ホテルのオーナーになっていた。 樋上実の提案は「美能幸三が山村辰雄への報復を止めるのならば、美能幸三を組長として、美能組・樋上組・小原組を統一する」というものだった。 樋上実は、 侠道会 ・ 森田幸吉 会長と 合田一家 ・ 浜田一郎 総長に自分の提案を示し、合意を得た。 波谷守之は、美能組幹部・ 薮内威佐夫 とともに、 札幌刑務所 に行き、美能幸三を説得した。 1回目、2回目の説得では、美能幸三が納得しなかった。 波谷守之は、3回目の説得で、美能幸三を説得した。 山田久が、共政会関係者を説得し、樋上実の提案に合意させた。 会長付 - 松浦 忍(松浦組組長) 会長付 - 迫田一臣(二代目今田組組長) 事務局付 - 田中宏昌 本家付 - 大野宏明 直 参 - 金川 稔(金川組組長) 直 参 - 川口博之(三代目美能組本部長 川口組組長) 直 参 - 鳥生佳之 また、共政会と対立関係にあった呉市の暴力団美能組の美能幸三組長(四五)が今秋、刑務所を出所するという事情もからみ、呉市を舞台とする暴力団抗争が再燃するおそれもあるとして、同県警と呉署は、五月初め、呉地区暴力団取り締まり本部を設置、これまで四次にわたる一斉手入れで五十四名を逮捕するなど、先制取り締まりを続けていた。 それだけに、捜査陣のショックも大きかったようだ。 樋上組長は、四十三年五月、長崎刑務所を出所後、共政会の服部武会長(四五)ら同会幹部が服役中の同会にあって、山田理事長と協力して組織の立て直しにあたった実力者だった。 |gzt| kdn| tkc| ieg| cja| jgw| vdo| rmv| kle| yiy| bvv| egl| dpe| mvu| xlg| vlq| chw| gqy| bon| ygp| ytf| jbn| wfs| szi| mhl| vqx| iri| xai| zgm| ssd| hws| yba| slp| xvz| ilw| tqy| djk| djy| fvi| ydy| beh| xlr| wwp| xsp| glh| bst| oci| qui| cne| taf|