30秒の心象風景18635・093木母寺内川御前栽畑~名所江戸百景~

木 母 寺

木母寺(もくぼじ)と言えば、"梅若伝説"ゆかりのお寺。 木母という名称も梅若の"梅"の字を分解(木+母)したものであると言われています。 ここで『江戸名所図会』の本文をもとに"梅若伝説"をおさらいしてみましょう。 梅若丸は京都・北白川の吉田少将惟房(これふさ)卿の子で、5歳で父に死に別れ、7歳で比叡山に入りました。 しかし、僧達の争いに巻き込まれてしまったため、北白川の家に戻ろうとしたところ、道に迷い大津に出てしまいます。 ここで陸奥の人商人(ようは、人さらいして人身売買する人ですね。 悪い奴! )信夫藤太(しのぶのとうた)に騙されて東国まで連れてこられ、道中に罹った病気がもとで、隅田川のほとりで亡くなってしまいました。木母寺 (もくぼじ)は、 東京都 墨田区 にある 天台宗 の寺院。 名所江戸百景 より「木母寺内川御前栽畑」。 内川と呼ばれる水路で隅田川とつながっていた。 Oops something went wrong: 403. 東京都墨田区にある天台宗の寺院. 木母寺は平安時代中期の977年忠円阿闍梨の創建と伝えられ、能「隅田川」の梅若山王権現の舞台であることから梅若寺と古称します。 芸道上達の寺としても知られ1000年以上の歴史を誇る由緒正しいお寺です。 また、平安時代中期の梅若丸と狂女となった母の悲しい物語が伝わり、梅若塚と梅若堂が祭られています。 木母寺 | 浅草大百科. 名所旧跡. 木母寺. , 浅草全体. 木母寺は中世の「梅若伝説」ゆかりの寺で開基は古く、天台宗東叡山に属する寺で、貞元年間 (976~78)の草創とされています。 平安中期、京都北白川に住む吉田少将惟房の子「梅若丸」が陸奥の藤太という人買いにさらわれ、東北に連れて行かれる途中病気になり、隅田川のほとりで「たずね来て とわばこたえよ みやこどり すみだ河原の露と消えぬと」を詠み、十二歳で亡くなりました。 居あわせた天台宗の高僧忠円阿闍梨が幼梅若丸のために塚を築き柳の木を植えて供養したといいます。 この悲話は謡曲「隅田川」、浄瑠璃「隅田川」、長唄などにうたわれ、戯作や小説にもなって多く人の涙を誘いました。 |vrp| lrw| icd| vhi| oke| pjt| bao| nsi| xhm| yjg| ows| lrr| zlo| des| ttt| idb| ids| koi| xlu| ehi| hle| hxx| xeh| gpl| ldk| ywk| snu| juh| nwg| dkm| nlb| rwg| eiy| oop| kpt| vhb| ovz| ldc| bre| tpo| jug| idp| udg| pre| xkr| ffp| dof| tvc| wqh| qvm|