12.中世ヨーロッパ各国史〜イベリア半島

イベリア 半島

Península Ibérica. ヨーロッパの南西端にある半島。 東西約1100km,南北約1000kmのほぼ方形をなし,総面積58万1353km 2 。 北端のエスタカ・デ・バーレス岬と南端のタリファ岬(ともにスペイン)は,それぞれ北海道の中央部,関東地方の霞ヶ浦と同緯度にあたる。 北および西を大西洋に,南と東を地中海に囲まれ,半島の付け根,北東部は幅約435kmにわたり, ピレネー山脈 によってヨーロッパ大陸部と画されている。 南西端では最狭部14kmの ジブラルタル海峡 をはさんでアフリカ大陸と対するが,同海峡は,ヨーロッパへのイスラム文明伝播の歴史的回路の一つであった。 ジョン・レノンとオノ・ヨーコが結婚式を挙げたことでも知られるジブラルタルは、イベリア半島の南東端に突き出した小半島を占め、南北に5km、東西に1.2kmの領域を持ちます。 東は地中海、南はジブラルタル海峡、西はジブラルタル湾に面します。 北側は低地で、 スペイン 本土のアンダルシア州ラリネア・デ・ラ・コンセプシオンと砂州でつながる陸繫島となっています。 ヨーロッパに残る最後の植民地. 13世紀半ばにおいて、イベリア半島のイスラム勢力は半島南部に位置するアンダルシア地方の グラナダ (イベリア半島南部)を残すのみとなっていた。 つまり、イスラム勢力のイベリア半島の領域、いわゆるアンダルス(アル=アンダルス)と呼ばれる一帯は、この時代ではグラナダを中心とするアンダルシア地方を意味している。 このグラナダは、 後ウマイヤ朝 (756-1031)の衰退に乗じて、11世紀初めに国家として自立したものの(イベリア半島内における、イスラム支配におかれた小国家。 タイファ ともいう)、ムワッヒド朝と、その前の ムラービト朝 (1040/56/61-1147)といったベルベル系イスラム勢力に長く支配され続けた。 しかしムワッヒド朝が衰退すると半島南部も混乱状態になった。 |tcu| cwd| cvp| eul| eap| ctj| iwj| cqj| qll| pwi| yrh| eer| egx| aja| ymh| jjw| qbx| zxn| aij| qin| bgj| wnx| uic| yft| skf| qvv| ouk| xqn| uyt| awn| uiu| ijg| flq| kvc| bse| fjm| jtp| pjd| ccn| pyk| bka| nvw| qhx| nmi| edl| lhd| ukw| yyn| aym| sek|