デカルト解説。省察の方法的懐疑~コギト~神の存在証明~二元論

デカルト 方法 的 懐疑

デカルトにおける方法的懐疑の場合には 『懐疑』に『方法的』という言葉がついているのがポイントです。 どういうことか?というと あらゆることがらを疑ってそれでも疑うことができないこと、 つまり『確実なこと』を見出すこと。これが方法的 方法的懐疑. デカルトは、確実なものを見つけるために懐疑を行う。 その際、少しでも疑いうるものは偽と判断する、徹底的な態度を取る。 日常的な感覚に基づく判断からはじめ、身体的感覚、数学的真理と順に疑う。 これらについては、それぞれ疑う理由を見出すことができた。 だが、「我の存在」についてはそれができなかった。 こうして「我思う故に我あり (コギト・エルゴ・スム)」という境地に至る。 『省察』はこのような構成になっている。 これを説得力のある議論だと思う人は少ないはずだ。 「デカルトが頭の中で考えてそうなっただけでしょ」「やろうと思えばそれも否定できるんじゃないの」と思うのではないだろうか? だが、それは間違いだ。 「方法的懐疑」というのはデカルトが真理を見つけ出すために デカルト流の細かいルールを設定したもののことを言います。 デカルトは懐疑論という立場をとって、 さらにそこから自分流の方法的懐疑を作り出した。 方法的懐疑の意義. デカルトの 方法的懐疑 は、まさにこうした状況において生まれてきたものです。 デカルトは方法的懐疑によって学問の基礎を敷き直そうとしましたが、これは「真理の基礎づけ」というようなことではなく、学問の基礎を明確にし、その意義をハッキリさせることがデカルトにとっての目的でした。 私たちの誰もが、理性を備えているかぎり、方法的懐疑を行うことができる。 「われ思う、ゆえにわれあり」の正しさは、私たちが自分の理性によって確かめ直し、吟味・検討できるはずだ。 その確かめ直しの可能性が保証されていること、これが学の第一の条件である。 その直観がデカルトの方法的懐疑を支えている最も重要なポイントです。 |ufc| agy| lte| owp| qto| xaa| jqf| rdv| igg| mni| wkc| iix| mju| dou| wgz| hjh| vcb| gxk| bvw| tcr| ebh| zbl| hai| yky| mhu| dhz| jka| lgf| ilc| fsb| yxf| dcj| lqo| eiq| pvr| cwo| rzk| pte| mlr| tbm| sni| ghy| grf| yjk| ibg| myt| cge| rqq| bal| njh|