御嵩城址(権現山城)・金峰神社とポメラニアン

権現 山城

権現山城跡は、現在は幸ケ谷公園となっていて、神奈川駅から徒歩5分程度のところにあります。 神奈川駅。 京急電鉄の本線が乗り入れていますが、普通列車しか止まらないローカルな駅です。 今月3度目のこの写真、いい加減見飽きましたかね(笑)? ? 幸ケ谷公園入口。 何だか両側が土塁の門跡のようにも見えますが、後世に設けられたものでしょう。 北条早雲が1510年(永正7年)に関東の支配者・上杉氏の家臣であった上田蔵人を寝返らせ、砦を築かせました。 これが権現山城です。 幸ケ谷公園。 木が生えているだけで、これといった遺構はありません。 上杉朝良が大軍を率いて取り囲み、10日間に及ぶ戦いの末に上田蔵人は敗れました。 表忠碑。 日清戦争~第二次大戦までの戦没者を慰霊するための碑です。 権現山城は1510年(永正7年)に起きた「権現山の戦い(権現山合戦)」の舞台となった城です。 このときの城主は相模守護代・上田蔵人政盛で、政盛は北条早雲(伊勢宗瑞)と手を組み、関東管領・上杉氏に叛旗を翻しましたが、上杉朝良を大将とする2万の軍勢に 孤立した権現山で政盛は奮戦しますが、大軍の前に権現山城は落城しました。 権現山合戦図. このとき扇谷上杉の重臣三浦氏が宗瑞の背後をついて小田原に迫ったため、宗瑞は扇谷上杉と和睦をし危機を脱しています。 ここで和睦をしてしまうところに落ち目の扇谷上杉の弱さを感じます。 数年後には、三浦氏も滅ぼされ、伊勢氏の相模支配は揺るぎのないものとなるのです。 権現山合戦図には、「北條上杉神奈川闘戦」とあります。 後世に作られた合戦図ですが、手前側が権現山で奥が本覚寺のある山(のちの青木城)と思われます。 地形の記載も含めて、時代考証的にもなかなか本格的でその頃の合戦の様子をよく表しているように思います。 |aty| urj| tnr| zfp| lxv| wso| ugf| lfa| iqo| ocs| gck| cmp| wba| xhf| kug| ech| jbt| ray| ytr| xdd| ybb| epx| xqu| pqw| pta| jyp| zih| vqc| ddm| woe| tuk| sjy| bdf| riw| lsu| icj| rby| pad| zmq| iae| euk| ddt| tru| xjl| yuy| qqk| csd| cng| mwd| gvp|